ごあいさつ
心臓外科を標榜する病院は、日本全国におよそ500程あります。しかし、安全に、高度な心臓手術ができる病院として認められるには、最低でも年間100例以上の症例数が必要だと言われています。そう考えると、心臓外科の分野で最高水準と呼べるのは100施設にも満たないでしょう。
限られた施設で心臓外科医(術者)として確固たる地位を築くには、全国約5000人を超えるとされる心臓外科医の中でも抜きん出た知識と技術力を持つことが不可欠です。

このホームページでは、心臓外科医・高梨秀一郎が、自らの経験を通じて得た知識や手技、さらに日本で最も多くの症例数を持つに至った心臓外科医としての思いをまとめました。この場を通じて、より多くの命を救える優秀な医師と、救われる命が増えることを願ってやみません。

高梨 秀一郎

「心臓外科は『金なし、暇なし、地位なし』の“ないない尽くし”だ。心臓外科医になったところで、いいことなど何もない」
一流の心臓外科医になるには知識や技術、判断力が必要不可欠です。しかし私はそれ以上に、いいメンターを持つことが大事だと考えます。
手術を通じて自分自身の「生き様」を伝えることができれば、そして若い医師たちに自分の知識や経験を活かしてもらうことができれば、これ以上の喜びはない、そう思います。
メッセージ
私が心臓外科医を目指したのは、ある外科医の一言がきっかけでした

「心臓外科は『金なし、暇なし、地位なし』の“ないない尽くし”だ。心臓外科医になったところで、いいことなど何もない」

およそ25年前、学生時代に私が見学に行った某大学の心臓外科医局長(当時)の言葉です。普通なら、その言葉を聞いて腰が引けるところでしょう。しかし、反骨精神だけで生きていた当時の私は「この人は何かを隠しているに違いない。実際には、いいことがたくさん待っているはず」と思い込み、心臓外科医を目指すことを決めたのです。(その方が正しかったと気づくのに、そう時間はかかりませんでしたが)
幸か不幸か、当時、私の母校である愛媛大学は心臓外科の手術症例数が1~2例と少なく、しかも小児の開心術が中心でした。私のやりたかった大人の心臓の手術をするには、母校を離れるしかない。そこで、当時親しくさせていただいた泌尿器科の竹内教授の紹介で、「兵庫医科大学 胸部外科学講座」に入局したのです。

これが私の心臓外科医としての第一歩でした。

その後、症例数が多く、私のメンター(Mentor)である清水先生が部長を務める「関西労災病院」へ出向しました。これが私にとって最初の異動でした。このときから私は、「より多くの症例が経験できること」を異動の条件としてきました。このポリシーは今も変わっていません。結果として、“東へ西へ”と医局の枠にとらわれない異動を繰り返し、現在に至っています。

内科医と外科医が協力し合って初めて「正しい治療」ができる

最近、よく講演などで「一流の心臓外科医になるには」といったテーマが挙げられます。

一流の心臓外科医になるには知識や技術、判断力が必要不可欠です。しかし私はそれ以上に、いいメンターを持つことが大事だと考えます。
一般的に、メンターというと「師匠」や「先生」といったイメージが強いですが、私の意図するところとは若干ニュアンスが異なります。私にとって理想的なメンターとは、自分が困ったときや迷ったとき「あの先生ならどうするだろうか」と自然に浮かんでくるような存在です。

同時に、一流の心臓外科医になりたいのなら、一流の循環器内科医と付き合うことが欠かせません。

「手術は外科医が行うもの」。そう思っている医師は多いのではないでしょうか。他方、患者さんとしては、最適な治療方法は1つであってほしいと願うものです。しかし実際には、心臓疾患に対して内科と外科は各々が独自の治療方法を持ち、そこに選択の余地があるとは想像もしないことでしょう。
循環器内科医は術前の診断を行うのみならず、術後も面倒を診てくれる存在です。自分のことを認め評価してくれる循環器内科医は、患者を紹介してくれるだけでなく、循環器領域の最新の情報を提供してくれます。これは外科医である以前に循環器医でもある我々にとって、大変意味のあることです。

冠動脈バイパス術を行う際、私はよく「自分がインターベンショニスト(循環器内科医の中でカテーテル治療を専門に行う医師)なら、どの順番で、どこまで枝(血管)を広げるべきか」と考えます。外科医としてできること、やるべきことを見極めるには、この作業が重要だからです。
カテーテル治療やロボット治療がどんどん進んでくる昨今、これからの循環器診療には内科や外科といった枠を超えた、新しい手法が求められます。だからこそ、手術を選択する場面においては、内科と外科が関わり合う必要があるのです。お互いの知識を整理し、伝え、理解し合う。こうした情報の共有がなされていなければ、その疾患が正しく治療されたとは言いがたく、患者にとっての不利益は甚だしいものだと私は考えます。

また、自分を評価してくれる循環器内科医は一流である必要があります。なぜなら、循環器内科医が一流であれば、その内科医を支持する他の施設の内科医からも評価されることになるからです。信頼性が構築できてこそ、自身の専門領域をリードしていく存在につながるのです。

確かな治療ができる心臓外科医として、歩み続けるために

長く医師を続けていると、時に「他の道を選んだほうがいいのでは」などと迷いが生じる場面もあるでしょう。

私自身のこれまでを振り返ってみても、ドロップアウトにつながる数多くの甘い誘いがありました。それでも結果的に心臓外科医を続けてきた理由。それはひとえに「心臓という臓器が好きだから」という、極めてシンプルなものです。
心臓という臓器に興味を持てば、もっと知りたくなる。知れば知るほど、さらに好きな部分が見え、よりよい手術が可能になる。初めは小さな思いでも構いません。好きという気持ちの“芽”を大切にしてきたことが、心臓外科医としてのモチベーション維持につながったように思います。
私は決して、器用な人間ではありません。だからこそ、1日1日、目の前の心臓に向き合い、昨日より今日、前回より今回が納得のいく症例になるよう、力の限りを尽くす。その1点に集中してきた結果、日本で最も多くの症例数を持つ心臓外科医としての立場を確立できたのかもしれません。
あまり上手に立ち回ろうとせず、むしろ他から取り残されてしまうぐらい“不器用”でいいのです。退路を絶ち、自分を追い込むことが、心臓外科医としては大事だと今更ながらに思います。
カテーテル治療をはじめとした低侵襲治療が進む中、心臓外科の手術数は年々減ってきています。近い将来、心臓外科自体がなくなる可能性も否定できません。だからなおさらのこと、腕を磨き、最後まで生き残れる心臓外科医にならなくてはいけないと実感しています。

外科手術は、患者さんにとっては病気という問題にひとつの解決を与えてくれるものです。

作家が作品を通じて自分を表現するように、外科医にとって手術は自分を表現できる機会です。手術を通じて自分自身の「生き様」を伝えることができれば、そして若い医師たちに自分の知識や経験を活かしてもらうことができれば、これ以上の喜びはない、そう思います。
経歴
学歴・職歴
1977年 3月 広島県修道学園高等学校卒業
1984年 3月 愛媛大学医学部医学科卒業
1984年 6月 兵庫医科大学 胸部外科臨床研修医
1985年 7月 関西労災病院 心臓血管外科臨床研修医
1986年 7月 兵庫医科大学 胸部外科医員
1986年 11月 財団法人 心臓血管研究所付属病院 外科レジデント
1988年 4月 財団法人 心臓血管研究所付属病院 外科研究員
1993年 10月 大阪市立総合医療センター 心臓血管外科
1999年 4月 大阪市立総合医療センター 心臓血管外科副部長
2001年 4月 医療法人社団 三記東鳳 新東京病院 心臓血管外科部長
2004年 8月 財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院 心臓血管外科部長
2006年 4月 財団法人 日本心臓血圧研究振興会附属 榊原記念病院 心臓血管外科主任部長
2009年 10月 帝京大学医学部 心臓血管外科講座 特任教授 (兼任)
2012年 4月 公益財団法人日本心臓血圧研究振興会附属榊原記念病院 副院長兼心臓血管外科主任部長
2015年 4月 慶應義塾大学医学部 客員教授
所属学会

日本外科学会
日本胸部外科学会(評議員/教育施設協議会副会長)
日本心臓血管外科学会(評議員)
日本冠動脈外科学会(理事)
日本冠疾患学会(理事/編集委員会委員長)
日本循環器学会
日本心臓弁膜症学会(世話人)
日本Advanced Heart & Vascular Surgery/OPCAB研究会(世話人)
American Association for Thoracic Surgery
The Society of Thoracic Surgeonsv European Association for Cardio-Thoracic Surgery
The Asian Society for Cardiovascular and Thoracic Surgery
学会指導医等

日本胸部外科学会指導医
心臓血管外科専門医認定機構修練指導者